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『引き攣る肉』ルース・レンデル 角川文庫

2019-07-30

☆☆☆☆

ヴィクターには或る恐怖症があった。14年の刑期を終えて出所した今、彼はその恐怖の因(もと)となるものをいずれ目にすることを予測していた。彼のもう一つの関心は、フリートウッドという元刑事のことだった。ヴィクターは女を襲って追われる途中、フリートウッドを銃で撃ち、逮捕されたのだ。彼は半身不随となったが、クレアという恋人と幸福に暮らしているという。不思議な運命の糸に操られたかのように、ヴィクターは彼らと出会った。クレアを含む3人の間に生じた奇妙で、危険な関係、それがやがて恐るべき破局を生むことになるのだが…。CWA賞受賞の傑作。 内容紹介より



1986年に発表されたノン・シリーズ作品です。性犯罪者で、逃走中に立てこもった家で刑事を撃って逮捕されたヴィクターが主人公です。ほとんど彼の視点によって物語が描かれているため、その社会病質性があらわに伝わってきます。やや奇妙な家庭ではあるけれど、虐待を受けて育っているわけではない彼の異常性、女性に対して向けられる攻撃性のもとがはっきりと示されていないところが異様さを強めているように感じました。日常性に埋没した異なるものを描き出すのが作者の特徴であり、その異なるものが様々な要因で姿を現してあらぬ方向へと動きだしてしまうサスペンスが読みどころだと思います。本書でも彼の犠牲となって車椅子生活をする元刑事とその恋人が、彼とどういう出会い方をし、またそれがどういう結果におちていくのか、そんな先の展開がまったく読めない不安を感じさせる作者の技が冴えています。
「この作品もまさしくレンデルの世界、くつろぎのひとときも、「幸福な眠り」も約束はしてくれないでしょう」(p364)、訳者である小尾芙佐氏のあとがきにあるこの言葉が作品をよく言い表していると思います。

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テーマ : 推理小説・ミステリー
ジャンル : 本・雑誌

『絵に描いた悪魔』ルース・レンデル 角川文庫

2019-03-19

☆☆☆☆

その夏、かつての荘園に造成された美しい住宅地、リンチェスターでは、雀蜂の異常発生をみていた。蜂のたかったサンドイッチを食べて窒息死した男もいた。ハロウズ荘にも雀蜂の大きな巣ができていた。一夜、隣人たちを招いての若い女主人タムシンの誕生パーティーも、蜂の群れには大いに悩まされた。だが何よりも人々の度肝を抜いたのは、彼女の寝室に置かれた不気味なサロメの絵だった。それを見たときの彼女の夫、パトリックの怯えようも異常だった。パトリックはそのあと、巣を取ろうとして蜂に刺され、梯子から落ちた。そして翌朝、彼はベッドで冷たくなっていた。やがてタムシンをめぐって様様の噂が近隣に拡まりはじめたが……。 内容紹介より



ロンドン郊外にある美しい高級住宅地に住む住人たちの縦横斜めに絡んでいる人間関係と、そこで起きた死亡事故をめぐる一連の出来事とその真相を描いた、作者ノンシリーズ第一作目の作品。一作目ですでにレンデル作品のスタイルがほぼ確立しているように感じさせるのはさすがです。クリスティのミス・マープルものにレンデルの毒味や苦みを足した田園ミステリの印象を受けました。高級住宅地ではありながらも、各住人たちの家族構成や社会的地位、経済的な事情はそれぞれ異なり、抱える問題も様々に設定してあります。彼らの人間模様や関係性を描き出し、そこに雀蜂の群れという異様なものを加えてサスペンス性を高めていくところはいかにもレンデルらしく、一方、本格推理小説の味付けもしてあり、住人のひとりである医師が探偵役を担っています。夫が嫌う不気味な絵画を家に持ちこむなど怪しい行動をとる妻をはじめとして、近隣住民にも多かれ少なかれ犠牲者を嫌っていたなかで、特に二人の人物は不審な行動を目撃されています。犠牲者の死は検屍通りに心臓麻痺なのか、あるいは殺人なのか。結末に余韻が残る一種の悪女物語だと思います。

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テーマ : 推理小説・ミステリー
ジャンル : 本・雑誌

『悪夢の宿る巣』ルース・レンデル 角川文庫

2019-01-30

☆☆☆☆

スタンリーの密かな夢、それは義母の遺産を手にする日のことだった。それさえ手に入れれば、なかば女房に食わせてもらう生活、クロスワード・パズルが唯一の楽しみのという惨めな生活ともおさらばだ。彼は義母の死ぬ日をひたすら待った…。彼の殺意が芽ばえたのは、思惑どおりに遺産が手にはいらないとわかった時のことだった。不仲の義母は、彼に遺産が渡らぬよう、周到な手を打っていたのだ。やがて思わぬ機会が訪れた。スタンリーは、着々と計画を実行に移していった。クロスワードの空白を埋めるように。それが決して解けないパズルであるとは考えもせず— 内容紹介より



怠け者で仕事が続かず、働く妻のわずかな収入に頼って生活している主人公は、同居する義母と日頃から口争いが絶えません。しかし、義母が貯め込んでいる財産を目当てに、そんな日常を我慢する状態です。ところが、主人公に殺さるかもしれないと思い込んだ義母によって、彼女が脳卒中以外の原因で死んだ場合は、娘にも遺産を渡さない、という内容に遺書を書き換えたという話を聞いた彼は、彼女の服用する薬を別のものと入れ替える小細工を始めます。ある日、義母の長年の友人が自宅を訪ねてきたときに起きた思いがけない出来事が主人公の運命を変えてしまいます。
小悪党ともいえない小者の主人公は、新聞のクロスワード・パズルを解くことだけが毎日の楽しみという甲斐性のない男です。もともと姑の財産目当てに、そのひとり娘と結婚し、不仲な姑としぶしぶ同居しているような男がその金が手に入らないとなって激しい殺意が湧きあがってきます。作者の巧みなところは、こういうどこにでもいそうな人物や誰でも抱いてしまいそうな感情を物語に据えて、人物や出来事を読者に身近に感じさせるところでしょう。サイコパスやシリアルキラーではなくて、そこら辺りにいる、または自分自身のなかにも似たようなところがある、というのが読んでいて非常に身につまされてしまい、作者の術中にまんまとはまってしまうのです。共通したものがあるが故に、どうしようもない主人公の姿に哀れささえ覚えてしまわざるを得ないのでした。主人公がパニックになるにつれて湧き出てくるクロスワード・パズルの単語がかなりブラックなユーモアを漂わせていると思います。

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テーマ : 推理小説・ミステリー
ジャンル : 本・雑誌

『荒野の絞首人』ルース・レンデル 角川文庫

2018-12-13

☆☆☆

風に伏しなびく苔桃やヒースの茂み、刻々と移りかわる空を背に黒くそびえたつドルメン岩。靄のヴェールをかぶった小高い山々。この荒涼たる原野(ムーア)がスティーヴンの恋人だった。彼こそがこの土地の君主なのだ。幼い頃から山に登り、廃鉱の坑道を探検し、彼は原野の隅々まで知りつくしていた。その荒野で起きた異常な殺人事件、それに最初に気づいたのもスティーヴンだった。金髪を丸坊主に刈りとられた若い女の死体を見つけたのだ。彼の原野を侵す何者かが現われた……。やがて発見された第二の死体も、金色の髪を刈りとられていた。そしてスティーヴンは、見棄てられた坑道の奥に奇妙なものを見つけたのだが……。 内容紹介より



本書は、『地獄の湖』の後、1982年に発表された作者にとってノン・シリーズの第十作目にあたる作品です。
イングランドの自然を象徴する風景のひとつである原野(ヒース)を舞台にした物語です。妻とふたり暮らしの主人公は二十九歳、躁鬱気味の父親の家具工房を手伝っています。幼い頃に母親が家出して以来、彼のなによりの生きがいは原野を歩き回ることで、地元の新聞に自然についてのコラムを書いているという一面を持ち、母方の著名な作家の孫であることを誇りに思っています。そんな彼がひとりで原野を散策中に、金髪を刈り取られた若い女性の絞殺体を発見してしまいます。原野を精神の支柱にして、長い間、危ういバランスを保っていた精神状態が様々な出来事によってじわじわと崩れていくという、この作家のお得意のプロットの話です。出奔、不貞、金髪が重要なキーワードになっているのは、やや定型的ですがわかりやすいです。しかし、突然に殺人が始まった理由は何なのか、というところが説明されておらず、その点は読後すっきりしませんでした。ある殺人におけるアクロバティックな展開にはとても意表を突かれましたけれど、この作者が好んで使う“失踪≠殺人”という図式と違って、この妙技は一回だけしか使えないでしょう。

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『薔薇の殺意』ルース・レンデル 角川文庫

2018-10-29

☆☆☆

ロンドンまで1時間の静かな田舎町、キングズマーカム。この町の治安を預かるのが主任警部のウェクスフォードだ。詩的な一面を持つ初老の紳士だが、ときにはコワモテぶりも発揮する。被害者は30歳の平凡な家庭の主婦。器量も平凡、顔に化粧をしたこともなく、夫と二人、つつましく、ひっそりと暮らしていた。そんな彼女の絞殺死体が牧草地の茂みで発見された。暴行めあての犯罪ではなかった。有力な手掛かりは遺品の本にあった。余白に、彼女に寄せる想いが綿々とつづられていたのだ。このおよそ人目をひかない女に、これほどの想いを寄せる男がいたとは……。捜査はまずそこからスタートしたのだが— 内容紹介より



本書はウェクスフォード警部シリーズの最初の作品であり、作者の長篇処女作だそうです。ウェクスフォード主任警部は五十二歳です。事件の発端は、バーデン警部の隣人から、帰宅すると妻が自宅にいないという相談でした。バーデンはさほど重要視せず、隣人にしばらく様子を見るように伝えますが、その後も彼女の行方は不明なまま警察による捜索活動が始まり、町外れの牧草地の一画にある茂みで彼女の遺体が発見されます。放牧されていた牛によって踏み荒らされた現場からは、口紅と一本のマッチの燃えかすが発見されます。警察は被害者の夫を疑いつつ、口紅の販売先を突きとめるための聞き込みを始めます。やがて被害者の遺品のなかに、彼女が若い頃に贈られた想いを寄せるメッセージが記された書籍が何冊も発見されます。身持ちの固い、化粧っけのない地味で目立たない彼女に知られざる過去があったのだろうか、という具合に話は進みます。進行はオーソドックスであり目を引くような派手さはありませんが、新聞の三面記事に載るような事件の詳細を掘り下げたみたいなリアリティを感じました。登場人物たちそれぞれの心理を仔細に暴いていくような作者の描写が処女作からすでに確立されているどころかベテランの作風さえ感じます。被害者を含む女子校の同級生たちの過去と現在の有様を彼女たちの恩師を登場させることによって繋ぎ、彼女らの夢と現実を対比させて人生の儚さや虚しさを感じさせる構図を造り上げています。学業優秀で将来を嘱望されていたのに平凡な生活を送っているという校長の言葉が印象に残りました。

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『石の微笑』ルース・レンデル 角川文庫

2017-10-23

☆☆☆☆

フィリップは暴力的で血なまぐさいことが嫌いな、ナイーヴな青年だった。彼が愛するのは美しいものだけ。わが家の庭に置かれた彫像・フローラと、姉の結婚式で花嫁付添人をしたゼンダ。白い肌、波打つ銀の髪を持つゼンダは、彼の目にはまるで愛するフローラそのものとして映った。一目で恋に落ちた二人は情熱的に愛し合うが、甘い日々は長くは続かなかった。ゼンダが二人の愛の証明として、驚愕すべき提案を持ち出したのだ。そして、フィリップは逃れようのない運命へと足を踏み入れていく……。衝撃の結末へと加速する、官能的で壮絶な愛の形。 内容紹介より



ゼンダに初めて逢った日に運命の人だと言われたフィリップは、彼女の美しさに魅了され、その日のうちに関係を持ってしまう。彼女の奇矯な言動に戸惑いながらも、彼女との関係に溺れてしまった彼は、二人の愛の証のために彼女が出した要求につい嘘をついてしまう。その嘘を信じたゼンダはフィリップへのお返しに、彼のためにある犯罪を犯したことを告白するのです。
ストーリーは、虚偽と真実、空想と現実がないまぜになったような展開で進み、その渦中にいるフィリップは翻弄され混乱した姿をさらします。表面的な美しさに魅入られ、その下にある本質を見誤った男が落ちていく闇は愛という狂気でした。社会人になったばかりの平凡な男であるフィリップがのめり込んだゼンダへの愛は、彼女のなかに秘めたものがそれに呼応し拍車をかけ、さらに狂気へと絡めとられていきます。異様な事態にフィリップの時々に浮き沈む感情の変化と同様に、読んでいるこちらも何が嘘でどれが本当なのか、混乱してしまい、気づいたら狂気が作り出した眼を背けたくなるような真実を突きつけられます。本来避けなければならない、住む世界が違った男女が偶然出会ったために起きてしまった悲劇と哀れなゼンダの姿が印象に残る作品です。

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『死を誘う暗号』ルース・レンデル 角川文庫

2016-10-26

☆☆☆☆

野良猫たちが集まる、人気のない草地—そこがマンゴーと仲間たちとの暗号受け渡し場所だ。退屈なパブリック・スクールに通うマンゴーにとって、暗号を使った“スパイ活動”はひそかな愉しみだった。園芸店に勤めるジョンは、偶然その受け渡し場所を見つけ、暗号文を手に入れる。誰が、何のために使っている暗号なのか?ジョンは、暗号の解読に没頭していく。それが事件の始まりだった……。暗号を巡って様々な人生が重なり合い、運命の車輪が今ゆっくりと廻り始める。英国ミステリー界の女王レンデルが放つ、戦慄に満ちた傑作長編。 内容紹介より



小尾芙佐氏の訳者あとがきによれば「本書は、ルース・レンデルのノン・シリーズの作品としては十四作目」にあたるそうです。
レンデルが得意とする心理サスペンスの真髄を発揮した作品であり、いったんそれを希釈しつつも、いたって平凡きわまりない男の心理がまわりに存在する奇矯な人物たち、そして少年たちがやり取りする暗号文によって図らずも大きな影響を受けざるを得ないさまを見事に描き出しています。妻に去られた男の戸惑いと執着の鬱々とした日常、対してパブリック・スクールの生徒のスパイごっことその日常。この二つの生活の流れが暗号文で小さな接点が作られ、次第に男の心を占めていく一方で、生徒は敵対するスパイ組織の暗号を解読しようとするとともに、部下たちのなかに二重スパイの存在を疑いが心に持ちあがります。パブリック・スクールでの学生生活や家庭の様子がなかなか興味深く、レンデルの作品には珍しい、少年小説のような明るさとユーモアをもって描かれており、徐々に張りつめていく緊張感に一息つく良いアクセントになっているとともに、男の孤独,暗号に没頭していく異様な姿を対照的に映しだしています。妻の元婚約者と生徒のひとりが暗号文によって繋げられたことによって、状況は急速に転がりはじめて破滅的な事態を引き起こしただけでなく、登場人物に対してちょっと不気味な余韻を残して終わる作品でした。

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『わが目の悪魔』ルース・レンデル 角川文庫

2016-07-12

☆☆☆☆

アーサー・ジョンソンの孤独な日常生活は何物にも妨げられることがなかった。人知れずアパートの地下室で行う悦楽の儀式も…すべてを狂わせたのは、アパートの新たな入居者、アントニー・ジョンソンだった。発端はこの同姓の若者宛の手紙を、誤ってアーサーが開封したことであった。これがアーサーの隠れた狂気を誘発した。誤解と妄想のうちに肥大してゆくアーサーの狂気は、やがて明確な犯罪の形をとり始めた― CWA賞受賞の傑作サスペンス。 内容紹介より



“人格異常者”の棲むアパートに、“人格異常者”についての論文を書こうとしている同姓の人物が引っ越してくる(この非常にシニカルな状況設定がいかにもレンデルらしい)、その“人格異常者”が手紙を間違えて開封したことで、彼の規則正しく整然とした日常生活の歯車が徐々に狂い始め、ガイ・フォークスの日に起きた出来事によって“たがが外れ”てしまい、彼が修復し押さえ込んでいた欲求が蘇ってしまう、そういう心理描写を丹念にねちねちと微細にこれでもかと描いてみせる著者の本領がいかんなく発揮されている作品です。彼が壊れていく様と同時進行でもうひとりのジョンソンの人妻との恋愛の行方を描き、それをクライマックスで見事にリンクさせる手法も見事です。少年期のアーサーの性格形成に絶対的な影響を及ぼした“グレーシー伯母さん”という存在が、後の彼の犯罪衝動に繋がるかというとややそれは弱いような気もしました。しかし、とても完成度の高い作品だと思います。

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『仕組まれた死の罠』ルース・レンデル 角川文庫

2015-11-08

☆☆☆

高名なフルート奏者、マニュエル・カマルグの死に特に不審な点はなかった。老人は雪の夜、池に落ちて溺死したのだ。だが、カマルグの再婚相手と決まっていた女性の話を聞いて、ウェクスフォードの考えは一変した。死の直前、19年間生き別れになっていた一人娘がカマルグを訪れたが、彼は対面後、娘を偽物と断じ、追い払ったという。そして今、その娘はカマルグの大邸宅に移り住み、着々と遺産の処分を進めている。娘は本物か偽物か?そこから始まった捜査は、ウェクスフォードをアメリカとフランスへ導き、ある“罠”の発見に結びつくのだが… 内容紹介より



ルース・レンデルの1981年の作品で、ウェクスフォード警部シリーズとしては11番目にあたるようです。ちなみにレンデルのノン・シリーズを含めると、『地獄の湖』の次にあたる20番目の作品です。
さて、掲げられている謎は、死亡した人物の娘だと名乗る女が本物か偽物か、という二者択一のすごくシンプルなものです。まず、ようやく再会を果たした父親は生前に彼女を偽物と断じ、また、ウェクスフォードは彼女の挙動に不自然さを感じています。一方、昔、彼女と親交のあった人物たちは本物に間違いないと証言し、さらに、かつてかかりつけだった歯科医の治療歴からも彼女が娘本人だと立証しているのでした。そして読者はもちろんウェクスフォードを通して物事を見るので、当然彼女を怪しみます。彼女の正体は暴かれなくてはならないのですから。
策士策に溺れる、という言葉がありますが、今回の印象はこんな感じです。謎が単純なだけに、作者はそれをどう料理してみせるのか、なのですが、並の作家ならこのレベルで申し分ないくらいの出来映えですけれど、ルース・レンデルはいかに料理してみせたのか、となると期待が大きすぎたので評価がやや低めになってしまったのでした。設定をノン・シリーズものにしていたら違っていたかもしれません。最後に、かなり遅くなってしまいましたが、ルース・レンデルさんのご冥福をお祈りします。たくさんの素晴らしい作品を遺していただきありがとうございます。

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ジャンル : 本・雑誌

『地獄の湖』ルース・レンデル 角川文庫

2015-04-11

☆☆☆

信じられない幸運だった。サッカーくじで10万4千ポンドが当たったのだ。マーティンは自分の人生設計も含めて、ある計画にとりかかった。だがフランチェスカの出現がすべてを狂わせた。菊の花束を持って、戸口に立っていた少年のような娘…それがフランチェスカだった。決して正体を明かさない謎めいた女、彼女との出会いこそが、仕組まれざる惨劇への序曲だったのだが―。ミステリ界の新女王、レンデルが放つ円熟の力作。 内容紹介より



父親が共同経営者になっている会計事務所に勤める二十八歳のマーティン、少年の頃殺人事件を起こし、現在は電気屋兼大工のかたわらパートタイムの殺し屋をしている二十六歳のフィン。中盤までこのふたりの視点が入れ替わってストーリーが進み、中盤以降からフランチェスカというそれまで謎につつまれていた女性の正体が明らかになり、彼女からの視点も加わるという設定をとっています。この彼女の正体というのが結構こちらの意表をつくもので、ふり返ってみるとちゃんと伏線がしっかり張られているのでした。彼女にまつわるある新聞記事のトリックや殺人者を勘違いさせた別の新聞記事の使い方などにレンデルの巧技を見ることができるのですが、なぜマーティンが慈善行為を企てたのかというそもそもの理由など、やや彼の造形に深み(あえて浅く描くことで、善良なだけの平凡な人物を表そうとしているのかもしれませんけれど)が感じられませんでした。また、殺人者のターゲットには状況的にふたりの候補者がいたのにもかかわらず、どうしてそのひとりを選んだのかが納得いきませんでした。

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地獄の湖 (角川文庫)地獄の湖 (角川文庫)
(1986/05)
ルース・レンデル

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『運命の倒置法』バーバラ・ヴァイン(ルース・レンデル) 角川文庫

2014-07-12

☆☆☆☆

豊かな自然に囲まれたカントリー・ハウスで、チップステッド夫妻は愛犬の埋葬の最中に若い女と赤ん坊の白骨屍体を掘り出した。カントリー・ハウスの元所有者アダム・ヴァーン=スミスは、父からその不吉な知らせを受けた。10年前のあの忌まわしい出来事が消しがたい記憶となって甦る。もし大叔父があの家を父に遺していたなら、誰も死ぬことはなかったのに……。過去と現在が交錯し、様々な記憶の旋律が複雑に絡まり響き合う。バーバラ・ヴァインが運命のモザイク模様を冷徹な眼差しで描いたCWAゴールド・ダガー賞受賞作。 内容紹介より



散歩中の犬が遺体の一部を咥えてきたり、掘り出したりというのはよくあるパターンですけれど、ペット専用の墓地に愛犬の埋葬をしようとして人骨を見つけてしまうひねった設定からしてルース・レンデルらしさを感じます。もしも別の場所に埋葬していたとしたら。もし自分でなく、父親があの家を相続していたら、親子のわだかまりがなかったなら。友人を誘わなかったら、彼が女を車に乗せなかったら。別の道を通っていたらなら。運命のもしもに絡めとられた男は、結局、人生で最愛のものを失うはめに陥ります。明瞭に描き分けられた登場人物たちの複数の視点から、過去と現在を自在に操り、描き出す作者の力量と技巧にすごさを感じました。犯罪者に限らず、人が抱える悔恨の様を冷徹に描くという点においてレンデルは一番なのかもしれません。人間ドラマだけでなくミステリとしてもミスリードが巧みに施され、アイロニカルなラストも見事です。ただ、人が死んだのに、その後の関係者たちの感情が淡々としすぎて不自然な気もしました。




運命の倒置法 (角川文庫)運命の倒置法 (角川文庫)
(1991/05)
バーバラ・ヴァイン(ルース・レンデル

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テーマ : 推理小説・ミステリー
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『緑の檻』 ルース・レンデル 角川文庫

2012-07-20

☆☆☆

グレイは本を一冊著わしただけの売れない作家。緑の小径の奥にあるコテージに一人住み、電話も受話器をはずし、まるで世捨て人のような耐乏生活を送っている。そして電話は、彼を怯やかすものの象徴でもあった。それはいつ息を吹き返し、美しい人妻、ドルシラとのすでに終わったはずの“危険な関係”にふたたび火をつけかねないのだ…。二人の間には、果たされないままに終わった或る企てがあった。とうに葬りすてたはずのそれが、やがてグレイを閉じ込める恐ろしい罠に変貌をとげようとは、彼には知る由もないことだった ― 。 内容紹介より



1974年に発表されたノン・シリーズもの。
友人が所有している古いコテージに住み、昔出した本の印税で細々と暮らしている三十代の男が主人公。十代の頃、母親の再婚を苦に自殺未遂を起こしたことがあり、精神的な弱さがある。彼は偶然出会った人妻と不倫関係になるが、彼女が言い出したある要求を拒んだことから関係が終わっている。こういう背景のなかで物語は、銀行からいくら金を下ろし、何に支払ったとか、不倫相手との思い出だとか、フランスに住む母親と継父の話とかが主になり大した事件も起こらず、細々しくスローなペースで進んでいきます。普段刺激過多なミステリ作品を読みつけている身としては、こののんびりした流れがまどろっこしく感じたりしました。病床についていた主人公の母親の容体が悪くなり、彼がフランスへ赴くところから話はようやく動き始めます。
巻頭に引用しているルパート・ブルックの詩のように、“愚か者”がある女を愛したことで被った受難をテーマにしているのですが、主人公の救いようのない駄目さ加減を描きながら、読者が感情移入をできる余地をギリギリまで残し、愛想が尽きる手前で踏みとどまらせるテクニックは見事です。
彼が小悪魔だと思っていた女が実は立派な悪女だったことに気づいた時には、すでに彼は檻の中に……。




緑の檻 (角川文庫)緑の檻 (角川文庫)
(1988/07)
ルース・レンデル

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『虚栄は死なず』 ルース・レンデル 光文社文庫

2011-10-01

☆☆☆☆☆

― 富裕なウィッタカー一族の一員、アリスは、38歳でようやく幸せをつかんだ。9歳年下のハンサムでやさしい夫アンドリューとの新婚生活は、彼女にとって夢のような日々だった。二人の結婚式から三カ月後、花屋の美しい未亡人、ネスタが町から出ていった……手紙を頼りに、アリスはネスタを訪ねるが、その住所は実在しない。ネスタが消えた。そして、アリスの体調にも異変が……。― 名手レンデルが女性の微妙な心理を描いた傑作サスペンス! 内容紹介より



以下、ネタバレしています!ご注意下さい!

わたしの思考回路が単純ということはこの際置いといて、なぜまたまたレンデルさんにしてやられたのか?
まず、本書がノン・シリーズ作品の二作目だということで、習作とまではいわないけれど、いくらルース・レンデルであっても人の子、最初からそれほどの完成度の高い作品を書ける作家だとは思っていなかったこと。ようするに甘く見ていたわけです。
そして、ヒロインの夫や道路工事などきわめてあからさまな赤いニシンを、一般的に初期作品に見られる設定の甘さによる伏線配置だと信じて疑わなかったこと。
さらに、この作品以降もレンデルさんが好んで使っていた“失踪事件”がまた同じパターンをとるとは思わなかったこと。これでも読みはじめはうっすらと疑いはしたんです(天敵の匂いを嗅ぐ野うさぎのように鼻をヒクヒクさせたのです)。しかし、いかんせん人間の思考というものは目の前にある安易な道を選びたがるもので……。
ということで、たとえば本書を研究施設の迷路実験とするなら、さながらわたしはレンデル博士の作った道を彼女の思った通りにひたすらまっしぐらに進むモルモットにしか見えなかったことでしょう。
とにかく、たった256ページですが、人物造形も巧みで、非常にトリッキーで周到な作品でした。やられーでまいったので☆をいっぱい付けました。べつに酔ってはいません。

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虚栄は死なず (光文社文庫)虚栄は死なず (光文社文庫)
(1988/03)
ルース・レンデル

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『無慈悲な鴉』 ルース・レンデル ハヤカワ・ミステリ

2011-08-28

☆☆☆☆

はじめは、愛人との駆落ちぐらいに考えていたものの、ウェクスフォード警部はいまや男の死を確信していた ― 失踪したのは、警部の隣人で会社員のロドニー・ウィリアムズ。その妻に、夫が戻らないと聞いてから二週間後、放置されたままの彼の車がまず発見された。さらに、突然、会社に辞表が送られてきたばかりか、妻に隠していた銀行口座が、池からは彼の身の回り品を詰めたバッグまで見つかった。まもなく、七カ所も刺されたロドニーの死体が掘り出された。折しも近隣では、一人歩きの女に声をかけた男が逆に刃物で傷つけられるという妙な事件が続いており、警部はさっそくロドニー殺しとの関連を調べはじめた。ところが、事件は思わぬ展開を見せた……
死体発見を知って警察を訪れた女は、ウェンディ・ウィリアムズと名乗った。あろうことか、彼女は被害者のもう一人の妻だったのだ!がぜん複雑な様相を呈する重婚者刺殺事件 ― 捜査線上に浮かぶのは、被害者に翻弄されていた二組の妻子、そして、ロドニーの娘も関わる、女権擁護を声高に叫ぶウーマンリブの闘士達……警部の粘り強い捜査が明らかにした事件の真相とは?ミステリ界でつねに動向を注目される実力派の一人レンデルが、現代的なテーマを意欲的に盛り込み、満を持して放つ、シリーズ最新作! 内容紹介より



真犯人も捕まり、おおよその動機も明らかにされ、読み終わるまであと十数ページというところで用事が入ったのでいったん読書を中断して、それにしても今回のウェクスフォード警部シリーズである本書は、読んでいると結構早めに犯人の検討がつくわりに警部のほうはそうでもなくてまどろっこしい思いをさせられるし、全体的にレンデルらしくないあまりぱっとしない作品だったなあ、なんて思いながら用事を片づけて読書に戻るとなんとその後の展開にびっくりさせられてしまいました。悠長な捜査のあとに驚愕の真実みたいな。事件の総括の後でこんなふうなサプライズを仕掛けられる作家はレンデル先生くらいでしょう。どんでん返しよりさらにすごい巧技なのではないでしょうか。これからはくれぐれも、油断してこのひとを見くびらないようにしよう。
最後の展開はたしかにやや強引な印象を与えますし、ウェクスフォード警部が全知全能風にも感じさせるところは不自然な気もします。しかし、作者の一筋縄でいかないミステリの作法がすごくよく表されている作品だと思いました。

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無慈悲な鴉 (ハヤカワ ポケット ミステリ―ウェクスフォード警部シリーズ)無慈悲な鴉 (ハヤカワ ポケット ミステリ―ウェクスフォード警部シリーズ)
(1987/05)
ルース・レンデル

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『女を脅した男 英米短編ミステリー名人選集1』ルース・レンデル 光文社文庫

2010-05-15

☆☆☆

― 「他人をこわがらせるのは、なんともいえず楽しい……まさに最高の気晴らしにだった」(表題作「女を脅した男」)。なにげない日常のなか、男と女が織りなす、そのあやうい心模様を巧みに描く心理サスペンス!
― MWA短編部門受賞二作品を含むノンシリーズ七編に、ウエクスフォード警部もの四編を収録。そのもてる才能を作品に如何なく発揮。輝かしい受賞歴を誇る名人R・レンデルの傑作短編集。シリーズ第一弾! 内容紹介より



「女ともだち」「女を脅した男」「父の日」「時計は苛む」「雑草」「愛の神」「カーテンが降りて」「ウェクスフォードの休日」「藁をもつかむ」「もとめられぬ女」「追いつめられて」収録。

夫に対する以外には男性恐怖症気味の女性が女友達の夫と密会しはじめた訳は……。その意外性、タイトル、ラストの悲劇にいたる伏線と心理描写が上手な「女ともだち」、独り歩きする女性を怯えさせるという悪趣味を持つ男の話「女を脅した男」、男の身に災難が降り掛かってこなかったのが不満足。「父の日」いつか、あるいは今日にでも自分の子供たちを失うってしまう、または奪われてしまうのではないかという妄執に囚われたお父さんの話。あまりにパラノイア過ぎて話に乗れず。「時計は苛む」は、平凡な人物がある出来事によって序々に壊れていく微妙な様が描かれているレンデルらしい作品。夫への愛情が深きが故に目が曇ってしまった妻が、クロスワードパズルという“布切れ”の一拭きで夫の本性を分かってしまった悲喜劇「愛の神」。ノンシリーズものはやや胆汁系苦みが希薄か。
「ウェクスフォードの休日」以降の四編はウェクスフォード警部もの。老婦人の不審死を描いた「藁をもつかむ」の出来が良いのでは、「追いつめられて」は短編作品なのに登場人物が多すぎて若干頭が混乱しました。

『ある詩人の死 英米短編ミステリー名人選集6』ダグ・アリン 光文社文庫
『最低の犯罪 英米短編ミステリー名人選集8』レジナルド・ヒル 光文社文庫




女を脅した男―英米短編ミステリー名人選集〈1〉 (光文社文庫)女を脅した男―英米短編ミステリー名人選集〈1〉 (光文社文庫)
(1998/10)
ルース・レンデル

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テーマ : 推理小説・ミステリー
ジャンル : 本・雑誌

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